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こんにちは。双極性障害の躁鬱くん(@so_utsu_kun)です。名古屋に引っ越してしばらく経ちました。
自立支援の更新やら障害者手帳の更新やらで役所に行く機会が何度もあったため、勇気を出して「ヘルプマークっていただけますか」と初めてヘルプマークを入手しました。
いつも忘れちゃうんだけどヘルプマークようやくもらってきた。
— 躁鬱くん (@so_utsu_kun) March 2, 2023
取引先の前とかではつけてたらまずいような気もするけど今日も買い物途中でドロップアウトだしあるとなんか安心かも。 pic.twitter.com/LmCeel0nZd
思っていたのより少し大きくて、色が鮮やか。
そこでハッと気づきました、
某歌手はこの手触り感と色鮮やかさとキャッチーなデザインに魅せられて自分もほしくなっちゃったんだろうな・・・と(;^ω^)
さておき、ヘルプマークをつけて街を歩いていると、
私は体調が悪くなってしゃがみこんでしまったりうつむいてしまうことがあるけどつけてれば(助けてくれなくてもいいけど)やんわり理解してくれるんじゃないかな。
それが私にとってのおまもり!
という気がしていました。
ヘルプマークを持つか、持たないか迷っていた時、Twitterで関わりある方々からも肯定的な意見が多かったです。
ヘルプマークを持っていないのでしたら、持つだけでも持っておきましょう!つけるかどうかは本人の自由ですし、外出時に持ち歩いておいて、必要性を感じた時につければいいだけです!!
※フォロワーさんからのリプライ
ヘルプマークに対してはネット上に心無いツイートを載せる方々も一定数いるのを知っているけれど、そんなの自分には関係ないし、自分は自分らしくなるべく快適に生きていけばよいし!と私自身も肯定的な気持ちでいました。
ところが。
ある晩、コンビニエンスストアで買い物をしていたら、自閉症っぽい顔つきと表情のおばあちゃんくらいの年齢の方がヘルプマークをつけて店内にいました。
私が見ている陳列棚を見たかったようで、しばらく離れたところで何を見るでもなくじっとたたずんでいたんですね。
で私が移動すると私がいた場所に移動する。
これをみたとき、私、単純に「怖い」と感じてしまいました。
その方から何をされたわけでもないのに。。。。。
偏見が自分の中にこそ存在しているのを痛烈に感じて恥ずかしくて辛いし、悲しい。
NHKかなにかの番組のヘルプマークの特集で
幼い女の子をつれた母親が、ヘルプマークを持っている女性を見て
何あれ?頭のおかしい人が持つやつ?近寄っちゃダメよ。
と言った。と言われていましたが、それ今の私の状態じゃん。
得体のしれないものに対する「恐怖」。
私の場合も「恐怖」でした。
でもその「恐怖」は無知からくるものだとも実感します。
先のおばあちゃんが本当に自閉症だったかはわかりません。
でも、何か疾患を抱えて困っているからヘルプマークをつけることで少しでも人間らしく生きたいと考えているのかもしれません。
得体のしれないものに対する「恐怖」はきっと誰の心の中にも存在するものだと思います。
しかし、得体が知れないからと言ってそれを差別したり貶めたりしてよいわけではないですよね、まして、自分もヘルプマークをつけようとしている人間のくせに、、、
恐怖は無知からやってくる。
だから怖いとか違和感を感じた時にこそ、
・その恐怖がどこからやってくるのか、
・どんな知識が不足しているのか
・せめて怖かったものがどんなものなのかネットで検索してみるとか
そういう少しずつの努力をすることで理解や共感を生んでいかなければならないなと感じました。
とはいえ私もその恐怖とか違和感を与えている側です。だからといって相手に「理解しろ!」というのも違う。
私は、私自身が自分なりに生きやすい生き方を模索し、無知を乗り越え、共感と感謝の気持ちで生きていければそれで充分です。
それが難しいですが。
人生の一つのテーマとして、そんなことを思いました。
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